graceとsurrender
お師匠さんには2週間おきにオンラインセッションを通して半年間の伴走をしてもらいました。この2週間の過ごし方が大事だなと。家庭教師を30年やってきて生徒に「レッスンを一緒にやることも大事だけど、1人でそれを反芻することが何より大切」と説いてきた私。ちょうど離婚決めて仕事もセーブしていたのでほぼ家で過ごせるありがたい環境だったのもあり、セッション内容を自分で噛み砕いて噛み砕いて・・・
毎回「カラーバス効果」なのか「シンクロニシティ」なのか、「宇宙ギフト」なのか。とにかくそのとき気になっていることがちゃんと起こる。ちゃんと考えることになる。ちゃんと。だからしっかり噛み砕いて、と思うんです。よし、フォーカスすべきは◯◯だ!やるぞと
いや、そ〜んな簡単なものじゃなかったです
噛み砕きたくないもの
噛んでも砕けないもの
砕いて飲んでも戻ってくるもの
次から次へとやってくる全てにまっすぐ向き合って
いろんなことに気がついて
お師匠さんから初めて教えてもらう「捉え方」や「言葉」。たくさんあるのに「初めて感」より「ああ、そうだな感」。学ぶというより思い出す。わかるというより知っている
どんどん軽くなって
どんどん生きやすくなって
だけど
目に見えない世界「宇宙」って?
あるの?本当に?それってなんなの?
どうしても超えられない壁。ドーン
(壁ドンなら胸キュンだけど壁ドーンは胸ズーン)
そのとき降ってきました
「サレンダーすればいいんだ」
(「魂の純度をあげればいいんだ」の感じで)
ふむ。きた!と思いました。サレンダーなんだと。しかしどうやったらサレンダーなんだろう。比叡山にこもるのか?瞑想をするのか?なんだなんだ?と迷走しているそのタイミングで出会った藤井風さんの曲「grace」を丸2日くらいほぼ寝ないで聴きました(寝ている時もかけてました)
藤井風さん、その日まで知りません。聞いたこともありません。PCでYouTubeを開いて「音楽」と検索しました(だいぶおかしい)ヒットしたサムネイルの中から「これだ」と再生。(サムネイルだけで?はい)そのまま丸2日
ああ、感謝しかないんだ
ああ、愛しかないんだ
涙が溢れてとまりませんでした
それなのに
それなのに
サレンダーできない自分
最後の一歩の感覚はありました
とてつもなく大事な一歩
恐怖のかたまりの一歩
なんとなく再生したYouTubeで「サレンダー」について聞くことになったり。週1で通っていた図書館では、貸し出しカウンター横の「今日返却された本」と書かれた棚に置かれた『サレンダー』という本があったり。もはやサレンダー包囲網(笑)
そもそもサレンダーって何なのさ?
どうやってサレンダーできたのさ?
ですよねぇ
次回は鞍馬寺への旅=ミラクル連発の旅をお届け
u and i